大判例

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東京高等裁判所 昭和56年(う)1960号 判決 1982年5月10日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人鹿野琢見、同赤尾直人、同成海和正連名作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、検察官窪田四郎作成名義の答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第一(憲法解釈の誤りの主張)について

一  所論は、まず、原判決には憲法一三条、同二一条の解釈の誤りがあることを主張する。

1  刑法一七五条が所論の憲法各条に違反するものでないことは、原判決の引用する最高裁判所の各判例((1)昭和三二年三月一三日大法廷判決、刑集一一巻三号九九七頁、(2)同四四年一〇月一五日大法廷判決、刑集二三巻一〇号一二三九頁、(3)同五五年一一月二八日第二小法廷判決、刑集三四巻六号四三三頁等)の趣旨に照らして明らかである。

すなわち、原判決が正当に指摘しているように、憲法一三条に規定する「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」については、同条自体に明示されている如く、また、同二一条一項に規定する「言論、出版その他一切の表現の自由」については、これらの自由が保障されることに伴う当然の内在的制約として、いずれも「公共の福祉」による制限の下にあるものと解すべきところ、猥褻の文書、図画等から社会生活における健全な性的秩序を守り、最少限度の性道徳を維持することは、まさしく右に言う「公共の福祉」の内容をなすものと考えられるから、その販売、販売目的所持等を処罰する刑法一七五条の規定は、憲法一三条、同二一条一項所定の権利ないし自由に対する合理的制約に該るものと言うことができ、何らこれらの条項に違背するものではない。

2  これに対し、所論は、「公共の福祉」による制約の存するのは当然のこととしても、その制約はあくまで例外であつて、必要最少限度に止められるべく、刑法一七五条の問題に即して言えば、猥褻図画の販売等に対する処罰を正当化し得るのは、それが他人の「見たくない権利」を侵害し、または社会の存立を危胎に陥れることが充分客観的、科学的に立証された場合に限定されるべきであつて、それ以外にはないと主張する(控訴趣意第一の一の2の(1))。

しかしながら、前叙の如き社会生活における健全な性的秩序ないしは性道徳の維持という社会的法益であつても、それは究極においてその社会を構成する国民の福利に寄与するものであるから、これを前示「公共の福祉」の内容をなすものと解するに何らの支障はなく、所論のように、「公共の福祉」による制約の許される場合を他人の「見たくない権利」の如き個人的法益の保護や社会の存立そのものに対する脅威の除去といつた狭い範囲に限定して解釈しなければならない合理的な理由は見当らない。

所論は、ひつきよう独自の見解たるを免れず、採るを得ない。

3  所論は、さらに、人に刑罰を科するという最も重大な権利侵害を合理化するためには、訴追者の側において、刑法一七五条の立法目的の合理性、すなわち猥褻の図画が社会生活における健全な性的秩序ないしは最少限度の性道徳を退廃に陥れる危険性を客観的、科学的に立証すべき責務を負うものと解すべきところ、本件ではその立証は何らなされていないのみならず、欧米諸国における実例に徴するときは、却つて、右危険性なるものは全くの杞憂に過ぎないことが実証されていると主張する(控訴趣意第一の一の2の(2))。

しかし、三権分立の基本原則に照らしても、国の立法機関が適法な手続によつて制定した法律につき、司法機関においてこれを違憲無効と断ずるには、それだけの明白な論拠に基づくことを要するのは言うまでもないところであるから、これと相反する所論前段の見解にはにわかに左袒するを得ない。のみならず、性的秩序ないし性道徳はもともと社会規範であり、従つてその維持あるいはこれに対する侵害の危険性を考慮するについても、単に性犯罪の増減といつたような事実的側面からのみでなく、より規範的な側面をも含めて総合的に観察する必要があり、そのすべてに亘つて所論のいわゆる客観的、科学的立証なるものに親しむものとは必ずしも思われない。また、規範の問題である以上、規範意識を異にする外国の事情を直ちに我国の場合に当て嵌めて性急な判断に走ることも相当でない。

要するに、刑法一七五条がその立法目的の合理性を欠くことについての論証は未だ尽くされていないのであつて、同条を違憲無効と断ずるための論拠は不充分である。所論は独自の前提を設けて違憲を論ずるものであつて、採るを得ない。

二  所論は、つぎに、原判決には憲法三一条の解釈の誤りがあることを主張する。

すなわち、原判決は、前掲(1)等の最高裁判所の判例を援用しつつ、刑法一七五条所定の「猥褻」の概念内容は、「徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」を指すのであつて、その構成要件が不明確であるとは言えないから、同条は憲法三一条に違反しないとしているが、原判決の掲げる定義は、「猥褻」という漠然とした多義的な概念を、同じように漠然とした多義的な言葉で言い換えた同義反覆にほかならず、その不明確性は何ら払拭されていないと言うのである(控訴趣意第一の二)。

しかし、「猥褻」の概念内容に関する原判決の説示は正当であり、そのように解したとき、刑法一七五条の構成要件が所論のように不明確であると言うことができないのは、前掲(3)の最高裁判所の判決の示すとおりである。

付言すれば、およそある概念の定義を与えるためには、その外延及び内包を正確に示す必要上、ある程度抽象的な表現によることは避け難いところであるのみならず、「猥褻」の如きいわゆる規範的構成要件要素にあつては、記述的構成要件要素の場合とは趣きを異にし、その概念内容が確定しても、認定事実が果してこれに該当するか否かについて更に判断の余地を残すものであり、具体的事案における真の困難は、むしろ後者の判断をめぐつて生ずる例が少なくないのである。しかし、そのことの故に、当初の概念内容の定義が不明確であると言うことができないのはもとよりである。

従つて、刑法一七五条は、構成要件不明確の故を以て憲法三一条に違反するものではなく、論旨は理由がない。

三  所論は、第三に、適用上の違憲を主張する。

すなわち、刑法一七五条が仮りに合憲であり得るものとしても、それは、同条の処罰対象を、猥褻図画の販売等の所為が(イ)他人の「見たくない権利」を侵害し、あるいは(ロ)未成年者に対する教育的配慮を欠くような態様で行なわれる場合に限定して解釈してこそ初めてそう言えるのであつて、同条をこのように合憲的に解釈した場合、被告人の本件各所為が同条に該当しないことは明白であると言うのである(控訴趣意第一の三)。逆に言えば、所論は、原判決が被告人の所為を同条違反の罪に問擬したのは、同条を合憲的に解釈しなかつたためであるとして、原判決の憲法解釈、適用の誤りを主張するものと解される。

しかし、刑法一七五条は未成年者の保護を目的とするものではなく、また、その保護法益を所論「見たくない権利」の如き個人的法益に限定すべき合理的根拠のないことについてはさきに説示したとおりであるから(前記一の2参照)、所論はその前提を欠き、失当である。

控訴趣意第二(事実誤認の主張)について

論旨は、要するに、原判決が本件各写真を猥褻の図画に該るものと判断したのは、その事実認定を誤つたものであると言うのである。

しかしながら、所論は、被告人が原判示第一の写真九枚を販売し、同第二の写真九九〇枚を販売の目的で所持したとの事実関係そのものを争うものではなく、もつぱら右各写真が刑法一七五条所定の猥褻の図画に該当する旨の原判決の判断を争うに帰するから、所論事実誤認の主張は、これを原判決の法令適用の誤りの主張と解するのが相当である(同旨、前掲(1)の最高裁判所判決)。

そこで、所論に鑑み、原判決の法令適用の適否を検討する。

原判決は、刑法一七五条所定の猥褻の概念につき前記の如き解釈を示したうえ、本件写真合計九九九枚の全部につきその猥褻性を肯定し、その理由として、「本件各写真は、すべて陰部、陰毛が透けてみえる下着のみを着用した女性がことさらに股間をひろげている姿勢などを撮影したものであり、被写体(モデル)の姿勢およびカメラアングル等に徴すると、これら被写体の陰部付近をとくに強調しているものであつて、そこには格別の芸術性、思想性も窺われず、全体的にみて、各写真はいずれも主としてこれを見る者の好色的興味にうつたえるものと認められ、わいせつ性の内容が時代に応じ社会情勢に従つて変遷しているとしても、現在の健全な社会通念に照してなお前記判例のいう「わいせつ」の概念に該当するものといえる」旨説示している。

押収にかかる本件各写真(当庁昭和五六年押第六八八号の符号一ないし一一)につき調査するに、原判示第一の写真九枚(前押号の符号一)の全部及び同第二の写真九九〇枚(同符号二ないし一一)中、後記五三枚を除く九三七枚については、まさに原判示のとおりであることが認められるから、これを刑法一七五条所定の猥褻の図画に該当するとした原判決の判断に誤りはない。所論は、原判決のなされた時点においては、女性の陰部、陰毛等をこれより遥かに露骨に表現したビニール本が多数市販されていたものと主張し、弁護人提出にかかる証拠物(前押号の符号一四、一五、一八ないし二三、二五、二七ないし三〇、三六ないし四一)によればその一端を窺知するに難くないが、検挙を免れた猥褻図画が他にもあるとの事情によつて、本件図画の猥褻性が否定されるべきいわれはない。

ちなみに、原審証人平野美智子の証言及び被告人の原審公判廷における供述によれば、本件写真モデル二名のうち一名の女性は、その陰毛が偽毛である疑いが濃厚であると言うのであるが、たとえそうであつたとしても、これを身体の相当部分に密着させて使用し、一見して自然の陰毛と見分けがつかないようにしている以上、前示猥褻性の判断に消長を来たすものではない。

ところで、原判示第二の写真九九〇枚中別紙掲記の写真五三枚については、女性モデルの着用する下着(パンテイストツキング又はスキヤンテイ)を透してその陰部、陰毛が露骨に見えるものとは認められないから、これらは刑法一七五条所定の猥褻の図画に該るものと言うことはできない。

従つて、原判決は、これらについてもその猥褻性を肯認している限度において、刑法一七五条の適用を誤つたものと言うべきであるが、右は、一罪である原判示第二の猥褻図画販売目的所持罪のごく一部であるに過ぎず、未だ以て原判決に影響を及ぼすことが明らかであるとするに由ないところである。論旨は結局において理由なきに帰する。

よつて、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

別紙(省略)

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